55話 もっと自由な発想で音楽を

過去のブログは左のタイトルをクリックするか、それ以上の古いものは左下のArchivesの英語の月の文字をクリックすれば見られます。 ヤマハミュージックコーポレーションからネット配信されている「パソカラホーダイ」というカラオケ音楽がある。10,000曲以上が配信されている。 キーも変えられるし、テンポも変えられるし、楽器演奏をバラバラに分けられるし、ガイドメロディーを付けたり、消したりできるし、ギターコードも表示されるし、さすがヤマハだな、と思う。 私は営業マンではないが、ヴォーカルレッスンを受講されている人にはお薦めのいいものだと思う。 さて、なぜそんな話をしたかというと、私が考え出したお薦めのボーカル自主トレーニングがある。 1.知らない歌を選ぶ 2.ガイドメロディーを聴きながらメロディーを覚える 3.音取りが終わったら(=メロを覚えたら)歌ってみる(自分のキーで) 4.You Tubeで本物の歌手の歌唱を聞いてみる 5.その違いを勉強する なぜ、これがお薦めなのか? 複数の理由がある。 理由1: 生徒さんの場合、99%というより、100%と言っていいと思うが、先に歌手の歌唱を聞いている場合は、ものまねを脱しないから。 わかりやすい例をあげてみよう。 「千の風になって」を歌ってみてください、というと、 あんなクラシックぽい声はだせないです、と言われてしまう。 あれは、新井満が鼻歌を歌うように小さな声でフォークソング調に歌っていたものを、声楽家の秋川雅史がカバーしたから、あのように歌がダイナミックに変わってしまっただけ。でも楽譜を見ると両方とも全く同じ! カラオケ音源の伴奏も99%同じ!でも歌い方が全く異なるので、違うジャンルの歌になった。 次に、昨日レコード大賞で聞いた「ラブイズオーバー」を取り上げれば、昭和54年の歌とは全く感じない新しい歌に聞こえる。 それは鈴木雅之(=元シャネルズ)がソウルミュージックとして歌っていたから。  「また君に恋してる」は2年前お酒のコマーシャルのTVCMで坂本冬美によって歌われ大ヒットした。でもあれを演歌だと思っている人が多い。 あれは、40年程前、ビリーバンバンというフォークソング歌手の2人が歌っていたもので、それを演歌歌手が演歌の発声でカバーしたので、演歌のように聞こえてしまっただけ。 実力のある歌手は他人の歌をカバーするときには、自分のものとして消化して歌っている。それをみなさんに期待するのは、レベルが高すぎだろうか? いいや、そんなことはないと思う。 歌は他人に振り回されないで、自分の好きなように歌うのがいいと思う。 理由2: もうひとつの理由は、先に歌手の歌を聞くと同じような発声で歌おうとしてしまう。 例をあげよう。 Misiaの楽曲を好きだからといってMisiaと同じ発声で歌ったらどうだろうか? とても疲れるはず。 その前に声が出ないかも。 彼女のように3オクターブも歌える人は少ないし、彼女のようにwhistle voiceを出せる人は少ないし、彼女のように声量のある人は少ないし、彼女のようにリズム感やグルービングがある人も少ないし、だからそれは極端すぎる例を挙げてしまったが、要するに、肺活量、声帯筋肉の状態、 筋肉(特に背筋)のつき具合とか、顎の骨の形状とか、いろいろな条件でみんな発声は異なって当たり前。 だから、その歌を歌っている歌手と同じように歌おうとする行為がまず間違っている。そういう肉体的な違いは、ある程度はレッスンでボイストレーニングでカバーできるが、限界はある。 声の音色、(例えば白人の中には声が鼻に響きやすい人が多い) なんかは特に持って生まれたものだから、同じ声が出せないから自分は歌が下手だと勘違いしないでほしい。 私以外の別のボイストレーナーがあるいいことを代弁してくれた。それは・・・ 「正しい発声というものはないんです」と。 その先生のおっしゃるとおり! 発声はこうでないといけないとは言えない。 ジャンルによって発声は全然異なるし、 個人個人によって自分に最も合ったそれぞれ違う発声をすべきだし、万人が同じ発声をできるわけがない。 教室では一応基礎を学んでそこから先は先生と相談しながら、あなた個人の発声や感性を育てていくことが正解である。

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54話 過去40年間の信念が崩壊!

バックナンバーは左端のタイトルをクリックするか、それ以上前のものをみるには、左端下のArchivesにある英語の月の文字をクリックして見られます。 アメリカのAmerican Idolを真似て世界中で同様のタレントオーディションが行われている。英国、フランス、台湾、韓国でも・・・ いつも3人の審査員がステージの前に座り、その背後に大勢の観客が座っている。観客の反応を参考にしながら判定が下され、通過すると次のファイナル審査にいく。 日本では残念ながらやっていない。 今回は韓国のものをみた。別にプロ歌手を目指していなくても是非ご覧になるといいと思う。 You Tube を開いたら、「Korea’s Got Talent Sung-Bong Choi 」と検索すればいい。 音声は全部韓国語で、英語の字幕が見られるので英語のわかる人はそれを読まれればいいし、英語のわからない人はこの下に翻訳を私がしたので、それを読んでからご覧になったほうがいい。 (オーディション会場の舞台裏で) (ナレーション) ここにごく普通のかっこうをした男性がステージに立とうとしている。 (チョイ) 僕は22才です。 名前はチョイスイボングといいます。僕はほかの人とは違った環境で生きてきました。今でのこのオーディションを受けるのをためらっています。他の普通の人たちのようになりたいだけです。そんなに歌は上手ではありませんが、歌う時ってなんか自分が別人になったような気がするんです。」 (拍手) 「こんにちは。チョイスイボングです。22才です。」 審査員A: その格好からはあなたがどんな仕事をしているかわからないな」 チョイ: ブルーカラーの労働者です。 審査員A: 早朝に? チョイ: はい。 審査員A: それでさ、あなたの応募用紙を拝見していると家族の欄には何も書かれていないんだけど・・・」 (目をキョロキョロさせて困った顔をして) チョイ: 自分は3才のとき、孤児院に入れられて5才の時孤児院の人たちの暴力に耐えられなくなって逃げ出したんです」 審査員B: じゃ、それ以降、どうやって生活していたの? チョい: 路上でチューインガムや健康ドリンクを売ってました。そういう生活を10年くらいやりました。 審査員A: 誰かと一緒に暮らしていたの? チョイ: いいえ、一人で。 審査員A: ということは、5才からずっと一人暮らしってこと? チョイ: はい。 (審査員Aが目を細める) 審査員A: ・・・・・・ チョイ: まあ、どこかの階段とか公衆トイレとかで寝泊りしながら、そういう生活を10年してました。 審査員A: 学校には行ったの? チョイ: いいえ。 GEDテストを受験して、小学校と中学校の学位を取得したから、高校が人生ではじめての通学でした。 審査員A: 信じられないわ。信じられない・・・ ところで、今日は歌うの? チョイ: はい。 審査員A: 歌うことは好き? チョイ: 歌ってるというより、楽しんでいます。そんな放浪生活をやってて初めて好きになったのが歌だったんで。 はい、歌うことは好きです。 上手には歌えませんが・・・ 審査員A: じゃ、聞かせてください。 (イントロが流れて、歌い始める。 審査員Aが驚きの顔。 口をポカンと開いてあっけにとられている。 審査員Bは表情を崩すことなく、彼の顔をするどく見つめる。しかし、すぐにAもBも目に涙。 Aは溢れ出る涙を拭き、顔がくしゃくしゃになる。 観客のなかにも泣いている人が沢山いる。 歌い終わる・) 審査員A;( しばらく感動で言葉がでない。) あなたを抱きしめてあげたいわ。 審査員B: なぜ歌いたいの? チョイ: 若いころ、いろいろと不幸な目にはあったけど、まあ、例えば、誰かに自分の身を売られるとか、 でもある日ナイトクラブでガムを売っていた時ステージでボーカリストが歌っているのを聞きました。普通だったらそんな場所では刺激的な音楽を演奏するじゃないですか?でも、ステージでとても誠実そうに歌っているのを見て感動したんです。 それ以降歌うことが好きになりました。 審査員B: それでボーカリストになりたいわけね? チョイ: はい。 審査員B: よくわかりました。あなたは自分の体内にとてもいい楽器を持っているわ。今までレッスンをうけたことは? チョイ: もしチャンスがアッタラクラシックのヴォーカルレッスンを受けたいと思っています。今の僕の歌い方は本当に自己流で聞いて独学で練習しただけです。 審査員B: 今回のこのオーディションで結果がどうなろうとも、私はあなたがヴォーカルレッスンを受けられるように援助したいと思うわ。 (チョイに笑顔) 審査員B: 本当に素晴らしい歌声をありがとう。 審査員C: 会場のお客さんの反応からもわかるように素晴らしいパーフォーマンスであったことは確かです。素晴らしいできでした。 [...]

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53話 サイトミュージシャンはいかが?

バックナンバーは左端のブログタイトルをクリックするか、それ以前の古いものは左下端のArchivesの英語の月の文字をクリックしてください。 ・ 数年前から思っていたことだが、CDがだんだん売れなくなってきている昨今、ネットでのアマチュアの歌の配信が激増している。 当校でもYou tubeに自分の歌を投稿している生徒もいる。You Tube以外にもいくらでもGyaoなどネットで配信する機会は多数ある。 それを機会にプロになった人もいる。今はストリートミュージシャンをやるよりは、ネットで聞いてもらったほうが多くの人に聞いていただけて得策な感じがする。また、聞いた人が感想を書いてくれることもある。 : スティーブ ジョブ氏は当時、「音楽を聴く行為を全く違った体験に変える」 と宣言した。 今年9月末時点のi-Podシリーズの累計出荷台数は3億台を超え、ソニーの携帯型音楽プレイヤー(約3,000万台)の約10倍にも達した。 03年には世界最大の音楽販売サイト、i-tunesがサービスを始め、これまで160億曲を販売した。 1曲あたり1ドルと割安で、しかも聞きたい曲だけを選べる。 米国のCD販売数は06年の55億ドルから、10年には20億ドルと激変し、ニューヨークなどの主要都市ではCD店が激少している。日本のCD生産数も1998年の約4億6000万枚をピークに2010年には2億700万枚にまで減った。CD店の数も徐々に減ってきている。 アスキー創業者の西 和彦教授は情報内容のデジタル化を大きく進めた。 「ソニーが大成功を収めたCDを完全にやっつけた」と、i-Podの衝撃度を振り返る。 CD販売枚数の急減で、100万枚以上売れた「ミリオンセラー」は01年の28タイトルから10年は4タイトルに減った。音楽をネットを通じて楽しむようになり、サイト発のミュージシャンも生まれている。 動画サイトに投稿した歌声の閲覧回数が200万回を超え、今年7月にデビューした島根県の女子大生、山根万理奈さん(22)は「どこからでも歌を聴いてもらえる」とi-Podに始まった音楽革命のメリットを説明する。 : : YMOのサウンドプロデューサーを務めた松武秀樹さん(60)は次のように言っている。 「i-Pod登場をきっかけに音楽配信が普及した。世界中の人に歌を届けられるようになったことは、ミュージシャンの可能性を広げる革新的な出来事だ。誰でもネットで歌や演奏を投稿できプロとアマチュアの垣根も下がった。」と。 アメリカのオーディション方法もAmerican Idolの番組で観客の反応を参考にしながら審査するという方法 以外では、ネット配信で視聴者の感想を参考にして判断するという風に変わってきている。 サイトでご自分の歌を配信して視聴者のコメントをもらって、反響をみてからオーディションを受けるのも名案と思われないだろうか? 

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52話  言葉でだめなら歌で

バックナンバーは左端のブログタイトルをクリックするか、それ以上の以前のものは左下のArchivesの英語の月の文字をクリックすれば見られます。 ある韓国の音楽プロデューサーが言っていた。 韓国でもある程度そうだが、日本のJ-POPS はロックのようにリズムのノリで刺激を求めるような楽曲が多く、歌詞の内容で感動を与えるようなものは少ないそうだ。そう言われればそうなのかもしれない、と同感。 それはそれで楽しいだろうが、別の感動もある。それは歌詞の内容が心に貫いてそれで感動を覚えるというもの。 : : 森裕子という歌手がいる。 クリスチャンで福音歌手と自称している。国内外を問わず年に100回以上もコンサートをされている。 TVでやっていたので、見た。福島の被災者に対してのコンサートだった。 私が好きな歌手かどうかは数秒聞けば判断できるので気に入らなければチャンネルを変えるためにリモコンを右手に持ちながら見た。約5秒彼女の声を聞いてリモコンを置いた。番組の最後まで見てしまった。いや、見させていただいた。素晴らしかった。 声は声楽家の発声だが、普通は私はもう声楽は聞かない。でも、この人のは違う。他の声楽家と違って歌詞を表現出来ている。きれいな声を出すだけでなく、魂で歌えている。 無名の歌手であるのがもったいない。 彼女は関西出身。 京都芸術大学の声楽科卒。 主に教会内だけで歌っておられたらしい。ところが1995年に転機が訪れる。それ以降は、全国各地、海外でも歌うようになったらしい。その転機とは・・・ : : : 1995年と言えば阪神大震災。彼女の20代の弟は神戸の東灘区にお住まいだった。父親は大阪の南にある堺市にお住まいで、そこおから東灘区まで、3時間以上かけて歩いて息子さんのアパートにまで行かれたそうだ。 建物の1回は崩れ落ち2階がちょうど地上に位置していた。父親は2階の窓をぶち割り、窓から入り息子さんを探した。彼の足が見えた! 父親は外に出て叫んだ。  「誰か!誰か助けて下さい!息子が埋まっています!」 数人が駆け寄って援助した。あとで救急車も来た。でもすでに彼の体は冷たく、息もしていなかった。 安置所に一晩だけ彼の遺体は安置された。 3月はまだ寒い。裕子さんが父親に言った。 「お父ちゃん、安置所は寒くなかった?」 「いいや、カイロもってたし・・」 「あっ、そう。よかった。」 でも父親はそれを自分のために買って使ったのでなく、息子さんの足を温めるために買った。温めようにも温まらない足を・・ 父親は裕子さんに言った。 「葬式では彼が好きだった歌をうたってやってくれないか?」 裕子さんは「そんなの、できるっわけないやん。 涙を流しながら歌えるわけないやん、恥ずかしい。みっともないわ」 でも、裕子さんはあとで考え直した。 いい格好して歌うことばかり考えていたから、断ったけど、別に上手に歌てなくてもいいかもしれない」 彼女は歌うことにした。半分以上は泣いてばかりで音程もめちゃくちゃだった。 でも、父親から凄く感謝されて、裕子さんは思い直した。 これからは上手に歌うとかでなく、私の魂を聴き手の魂ににぶつけていこう、と。 それから裕子さんは各地で歌いだした。 震災で亡くした親族が集まっているところに行き、 「すみません。歌わせてください。」 と許可ももらわず強引に歌った。歌った後、 「ご迷惑でしたでしょうか?」と聴くと、  「いやいや、ありがとう!感動した。もう1曲歌ってくれないか?」と逆に言われた。 それから、彼女は中国の大震災があった時も中国に行ってがれきの中で歌ってきた。 ちゃんとした劇場であろうが、外であろうが、どこでも聞きたい人にはアカペラでも歌われる。 彼女の歌には凄いパワーがある。 人生を諦めかけていたような暗い気持ちになっていた人に生きる勇気を与える。 「大変だったね。がんばってね」 という励ましの言葉よりも、歌はそんなに人の魂に貫通するものだ。

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51話   裏社会と芸能界

バックナンバーは左端の記事タイトルをクリックするか、それ以上の昔の記事は左下のArchivesの英語の月の文字をクリックしてください。 数年前から銀行の窓口で取引をすると、暴力団とは関わっていないことを証明するため、チェックマークを入れる箇所がある。ローンは契約できないし、彼らの経済的活動は徐々に締め出されているらしい。 TVでもよく暴力団追放のデモ行進を見る。 少なくとも沖縄のTVではよく見る。 暴力団のことは私には全然よくわからない。 右翼の人と暴力団の関係もよく理解できない。 芸能界と暴力団の関係もよく理解できない。  ただ、知っているのは私が若いころ芸能界にいた頃は、確かに暴力団と芸能界のつながりは経験(体験)はしてきた。 しかし、それでもまだよく理解できていない。 もうひとつはっきり知っていることは、島田紳助が暴力団とメールのやり取りをしただけで芸能界を引退しいなければならなかったのであれば、引退しなければならない芸能人はかなり沢山いる、ということだ。 数え切れないほどいる。 特に昔は大物歌手が自分の身を守るためにその筋の人と関係をもっていた。 今はどうかわっているのか、知らない。だから、島田紳助の事件がどれほどいけないことなのか、あるいは全くいけないことでもないのかの判断がつかない。 TVに毎週出ている老若男女問わず誰でも知っているある大物タレントは、自分から暴力団との深い関係を公言している。 それでも名前は出さないでおく。 島田紳助がメールのやりとりだけで引退したとき、彼はそれをどう感じたのだろうか? お店でライブコンサートをやったり、ライブハウスでコンサートをやったりしているインディーンズの方々には関係ない話だろうし、 今のJ-POPSのアーティストにも関係ない話かも? よくわからない。  これからする怖い話は実名を隠してお話しよう。  その1: 世田谷区にある有名な一流作曲家がいらっしゃる。 名前は出せない。 ある日その先生のマネージャーから電話があり、 「松本さん(=当時のプロデューサー)の紹介で高松さんのことをお聞きしましたが、高松さんに先生が会いたいとおっしゃってるので先生のご自宅にきていただけませんか? 」  すごく丁寧な喋り方をされる中年男性だった。 翌日黒い高級車が私の自宅の玄関前に止まり、その車から黒いスーツを来て、ピカピカの高級な靴を履いた紳士が私を車にのせ、世田谷区のその先生のご自宅まで車を走らせた。 その途中もすごく丁寧なしゃべりかたをされるかただった。 先生の家につくと地下に行くとそこにグランドピアノやレコーディング機材などがいろいろ置かれている。 用件は、私に楽曲を作曲したいという。  丁寧にお断りした。 なぜなら、営業はやってあげるからとはいうものの、 作曲費用は自費という話を聞いて、これは何かおかしい、怪しいと感じた。 そこでプロデユーサーに調べさせたら、 彼も知らないで私にうかつに紹介してしまったらしいが、その作曲家についているマネージャーが暴力団だった。 昨日ある音楽番組でその先生がまたTVに出ていた。 その2: 都内の某映画制作会社が新宿歌舞伎町にあった新宿コマ劇場を取り仕切っている。 コマ劇場にでるとなると、その事務所に挨拶にいかないといけない。 また、プロデユーサーと一緒に行った。 その時、デビューしたばかりの17才の歌手の女の子も同伴した。 その歌手が主役なんで。 事務所の玄関のドアには「xxx映画制作会社」 と書いてあるものの、一歩なかに足を入れると、男性ばかりでおじぎの仕方が普通ではない。 しばらくその場所にいると、そこがどういうところかがわかった。 プロデユーサーには過去に50枚のチケットを売りさばくノルマが課せられていたらしく、それをできなかったという報告を受けて、ある若い男性がプロデユーサーに灰皿を投げつけた。 こんな光景を唖然としてぽかーんと口を半開きで見ている自分がいた。 その3: ある楽曲を作曲してもらったとき、 私はもう自信がないので、歌手を辞めたいといって、その楽曲を受け取ることを拒否したことがある。 請求額は¥250万。  でも、まだやるかやらないかはっきり返事を差し上げていないうちに出来上がってしまった曲だった。 それで私は 「まだ、考え中だったのに、さっさと楽曲を作ってしまわれても困ります。 」  といったものの、話は通じない。 相手にも暴力団が絡んでいる。 電話番号を変えても新しい番号をどうやって調べるのかしらないが、新しい番号にかけてくる。 住所は教えてもいないのに、家にまで来る。  そこで芸能界に右翼の人を知っていて、彼に相談すると、 「任せておいて」 と一言。 そして、その問題は即座に片付いた。 何をどうされて、急にその暴力団がおとなしくなったのか? 不思議・・・  右翼とは何なのかも自分はあまりよく分かっていない。 以上は昔の話なんで、今はもうすっかり変わっているならば、嬉しいが、でも最近島田紳助の事件を聞いて、ひょっとしたらそんなに事情は変わっていないのではとも思った。

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50話  プロ歌手デビュー

 バックナンバーは左端の記事タイトルをクリックするか、またはそれ以前の古い記事は左下端のArchivesの英語の月の文字をクリックすれば見られます。   町田校にはプロ志向の生徒さんが多いので、今回はおもしろくはないがまじめな話をしよう。 クラス内ではこんな話をすると、レッスン時間がもったいないので、ここで代用する。 これは決して脅しではなく、みなさんがあとで傷つかないように忠告したいという意味であり、みなさんの熱い志を否定するものではない。 過去を振り返ると、私も後悔している。 偉そうにアドバイスを今はしているが、自分も若いころは何も分からず単にオーディションを気楽に受けて、運よく歌手になったものの、なってからが思い描いていたきれいな世界とはかなり違うものだった。 華やかなステージの裏側の泥臭い下品な楽屋が今でも印象的だ。 無名3流タレントはトイレで着替えたり、レコーディングの予約も大物歌手に譲らないといけなかったり、新宿歌舞伎町を縄張りとしているその筋の怖い組の方々との接触が2回あったり・・・・ あまりバラ色の世界を想像しないで、現実を見て、理解し、それでも本当に歌手になりたいのかを考え直されたらいかがかと思う。 プロ歌手といってもピンからキリまであることをまずはご理解いただきたい。  ストリートミユージシャンもお客が存在する以上、プロである。  飲食店の小さなステージで数人のお客を相手に謙虚なギャラでライブコンサートをやっている人もプロである。 100人も入らない小さなライブ会場でアマチュアと混じって歌っているインディーズの人もプロである。  またローカルだけで知られている歌手もプロである。 私が今日お話するのは、そういうレベルの話ではない。上記に申し上げた人たちとは違って、きちんとプロダクションと事務所契約をしていて、きちんとマネージャーがついて、きちんと事務所が営業企画の会議をあなたのためにやってくれて、営業活動をやってくれて、音楽プロデューサーがついていて、全国のレコード店にあなたのCDが置かれていて、カラオケボックスであなたの歌が歌えて、テレビ出演もして、というレベルの話である。 なぜ、そこのところで一線を引かせていただいたかというと、それはマイナーな世界とは準備をする内容も全く違うからである。 メジャーなアーティストをプロデュースする場合でも、地道なやりかたと派手に1年目からTV番組露出を狙う戦術もあるから。 たとえば、デビューに必要なお金も全く違う。 私の娘に対して、中森明菜をプロデュースしていたプロデューサーから熱いお誘いがあった時、彼は折半で自腹を切ってやりませんか?と提案された。 スポンサーを探すのが面倒だったんだろう。その折半(50%)が¥5,000万といわれた。 (お断りしたが) 紅白で小林幸子がたった3分間使っておしまいの衣装が1億円以上する。  そして彼女が1曲約3分間歌うだけで1,000万だ。  ものまね芸人、コロッケが1ステージ仕事をすると20年前で500万。 今はもっと請求されているだろう。 1億円するレコーディングスタジオで録音するとか・・・ そんな虚栄の世界としか思えないような世界のことを今からお話する。 まず、みなさんに申し上げたいことは、 もう少し自分が挑戦しようとしている世界のことを調べてからやったほうがあとで後悔しないし、心が傷つかないと思う。 軽く、甘く考えすぎていると自分自身が傷つくということ。 本当にそんな世界に入りたいならば、もっとその世界のことをよくわかっておくこと。そしてそれでもまだやりたいのかを自分自身に問いただしてみることだ。 こういういい方をしてみよう。 1億円をかけてある会社経営をするとなると、1億円という大金を失くしてしまわないように、あなたは必死に市場調査をしないだろうか?そしてよほど、イケル!!という自信があれば事業をやるのではないだろうか? なんとなく1億円を投資する人はいない。 よほどの覚悟がいる。 もちろん、あなたが大金を出すわけではなく、事務所がスポンサーを発見したりするケースが多い。 でもそのスポンサーは節税のためにやったりしていても、大切なお金を失いたくはない。 儲けてお金を受け取ることを前提に出費する。 だから、よほどあなたに素質があって、儲けられる可能性がない限り出費はしたくはない。当たり前の話。 あなたが出費者、スポンサーなら誰にあなたの大切なお金を投資するだろうか? そこを理解されたい。 プロデューサーも同じ。 過去数人の生徒さんをレコード会社やプロデューサー達に紹介はしたが、先方のほうから断ってきた。 某レコード会社からある日電話があった。 「高松さん、数ヶ月前にご紹介いただいた**さんですが、悪いけど、お返ししていいですか? 彼女は芸能界では生きていけないです。」 「あーー、やっぱりそうですよね。 そうかなとは思っていましたけど」 「まあ、歌はうまいことはうまいので、もったいないですよね」 「いや、いいです。 お世話になりました」 本当にこんな会話を交わした。 つまり、彼女は歌がうまければ、プロになれると誤解されていた. これは一番よくある誤解である。 99%、いや100%の生徒さんが歌がうまくなればデビューできると勘違いしている。 プロなら誰でも腹式呼吸が出来上がっていると勘違いされている。 歌がうまいのはへたよりももちろんいいが、歌のうまさだけでデビューするのではない。 むしろデビューしてから歌唱力を磨くタレントがいかに多いことか。  話をプロデューサーの話に戻すが、昔中山美穂を発掘して彼女を育てたプロデューサーが私の友人で彼に数名紹介したものの、途中でやっぱりタレントになることをやめます、と言われると彼がそれまで無償で動いて来たことが全て無駄になる。 彼はあなたがギャラを稼ぐまでは無報酬であなたのために動く。 交通費や商談時のお茶代さえも請求はしない。 100%の成功報酬である。 だから、最近は、面接をして本人のやる気を確認してから、お引き受けしている。 よほどの覚悟がないと彼も引き受けはしないし、私も責任を感じている。 某レコード会社の社長の意見では、99%の人は6ヶ月以内に根性と忍耐の限界に達し、自分から辞めたいと言ってくるとおっしゃっていたが、同感だ。 そうやって、泣きながらトレーニングを積んで、やっと苦労してタレントになっても、歌手を何年続けられるかという問題が次にある。 私に言わせれば、デビューは「スタート」であり、成功ではない。 そこから本当のオーディションが始まる。 なぜなら世間一般人があなたの審査員だから。 その最もわかりやすい実例がAKB48かもしれない。 秋元プロヂューサーの考えは素晴らしいと思う。 彼女たちにとっては、毎日がオーディションだ。 デビュー前の事務所の判断はどうでもいい。 本来の評価はお客が決める事。 仕事ひとつひとつがオーディションだと僕は思う。 k-dashの中島美嘉は、事務所サイドはいい評価をしていなかった。 いつまで持つかな? と言われていた。 歌唱力も僕はイマイチだと思うが、そんなことはどうでもいい。 世間からは評価がいい。 であればそれがすべて!   Amrican IdolというアメリカやイギリスのTV番組では、一般客の拍手でオーディションの結果が決まる。 審査員がイマイチ・・・と思っても、観客が割れるばかりの拍手をするなら、それを無視はできない。それが本来のあるべき姿ではあるが、日本では行われていない。 せっかくデビューしてもほとんどの歌手は1年くらいで消えていくことも覚えておくべきこと。 みなさんはその99%の歌手のことは当然知らない。 知っているのは1%の氷山の一角の成功した歌手のことしか知らない。 だから、全ての歌手がこんな感じだと錯覚に陥りやすい。 話は、変わって、では歌のうまさ以外に何がないと成功しないか、ということをお話しよう。 僕が4年間師事を受けた先生は現在日本最大手の芸能プロダクション事務所、k-dashの会長をマネージャーに雇っていた方で、僕の意見では美空ひばりさんの次に歌がうまいと思う。 名前を出すと先生から叱られるので明かせないが、これだけ歌がうまくても歌手としては大成されなかった。 歌のうまさで成功するのではないということ。特に日本はそうである。 韓国、米国はもっと実力主義である。 話は逸れるが、韓国人の根性にはおそらく日本人は勝負できないと思う。 毎日毎日12時間もトレーニングして、過呼吸で気を失って、泣きながらトレーニングに励み、ビジュアルに問題があれば整形手術はあたりまえ、という世界に日本人はついていけないと思う。  話を戻して、だから歌のうまさだけでは日本では成功できない。  運に恵まれることも必要。 AKB48をプロヂュースしている秋元氏はこういっている。 「スターになるべき人は必ず強運の持ち主だ」と。 全く同感だ。 いい曲に恵まれることも必要。  魅力的なビジュアルも必要。 (歌唱力よりもある意味重要) 腕のいい営業力のあるマージャーも必要。 [...]

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49話  マイクワーク

バックナンバーは左のタイトルを押すか、それ以上古いものは左端下のArchivesの英語の月の文字を押せばすべて見られます。 昔2人の女性の生徒さんがキングレコードからメジャーデビューしたが、今回はコロンビアレコードから男性の生徒さんがメジャーデビューした。 もちろん全国のカラオケボックスに音源は流れている。 3人のうち1人だけは2曲目も多少はヒットしているようだ。 歌謡雑誌に取り上げられていたから。 さて、今回私に  「お世話になりました」 と送られてきたCDだが、レコーディング時に多少緊張されていることが声を聞いてわかる。 無理はない。 初体験だから。 なので、その方の名前は非公開にしておこう。 本来ならその方がレコーディングするときに立ち会うべきだが、なんせ私は沖縄から町田に通勤しているので、そんなにしょっちゅうは通えない。 しかたなく私の指導なしでレコーディングされた。 時間がなく、マイクワークをレッスンする余裕もなかった。 ライブコンサートに出場されている生徒さんなら、スタジオ内でマイクなしで歌っているときと声がかなり変わってしまうことに気づくはず。 それによって歌い方も変わる。ライブコンサートではリバーブをかける。またPAでさらに声が変わる。 さらに、ホール内で声が響いている。  カラオケボックスではリバーブでなくエコーをかけて歌う。 これもまた違う。 多少音程がごまかせる。 どんなマイクで歌うかによってもまた声は変わり、それゆえ発声もかわる。 今もやっておられるのかどうかはしらないが、昔、郷ひろみはソニーに特注のマイクを作らせてそれでしか歌わなかった。 カラオケボックスによっても多少マイクがかわると、また機械の設定が変わると、歌いずらくなることを経験された方もいるだろう。  オーディション会場でよくアカペラで歌を歌わせるのはその理由からもあり、本当の実際の生の声を聞きたければアカペラで歌ってもらうと一番よくわかる。  天童よしみは(これもいまもやっておられるのかは知らないが) 昔は新曲をリリースするとき、ラジカセにカセットにアカペラで歌を録音して父親に聴かせて、率直な意見を聞いていたらしい。 一番悪い録音状態で録音してそれで上手に聞えるなら、それは本当に歌がうまい!!ということだからである。 ご本人がいわく、 「1億円もする凄いレコーディングスタジオではいい声になるのは当たり前。 アカペラで安物のラジカセに録音した声がいい声なら満足できる」と。 そのことは僕が音大生のときに経験している。 グランドピアノ伴奏で歌を習っていたが、いつもレッスンを録音していた。あとで聞くと自分の声はたいした声ではないが、先生の声は素晴らしく聞えた。 エコーもリバーブもかけないで、PAも入れないで、 生の声を安物の録音機に録音して、それで素晴らしい声に聞えていた。 そのことはショックで今でも記憶にある。 さて、話をもとに戻して、今回メジャーデビューされた方はレコーディングは初体験なので、しかたがないが、かなり緊張されていた。 それは声を聞いてわかる。 やはり、スタジオ内のレッスンには限界があり、ライブコンサートで歌うのとは事情が違うし、またレコーディングも事情が違うし、多少経験を積まないと容量がわからないだろう。 さすが、レコーディングをしょっちゅう経験してくださいというのは無理な話なんで、せめてライブで歌う経験をいつもしておくといい。 そのライブ出場もしょっちゅうできるわけでもないので、日頃は以下のようにされるといい。 カラオケボックスに行く。 マイクなしで歌う。 次にマイクにエコーをつけて歌う。(エコーは控えめに) すると、その差がわかる。 すると、日頃マイクなしで歌っていても、マイクがあるときのように歌える。これをマイクワークという。 プロの世界では必須のトレーニングである。 先ほど言ったように、どんなマイクで歌うかによって、かなり声は変わる。 レコーディイングのときに使うマイクはコンデンサーマイク。 ライブ会場で歌うときは、低音をよく拾うダイナミックマイクロフォンが一般的だ。 コンデンサーでは怒鳴る時もマイクに近付けたままでOK. ダイナミックでは私は怒鳴る時は口からマイクをかなり話す。  レコーディングも一度は経験されたほうがいいと思う。  「それぐらいやってますよ!」と反発する若者がいるはず。  なぜならレコーディングは安価なハードやパソコン無料ソフトで簡単に誰でも自分でできるからである。 都内には¥1万くらいで録音できる部屋もある。しかし、私のいうレコーディングとはそのようなレベルのものではない。 ↓ 私のお勧めは・・・ レコーディング技師を雇い、4~5チャンネルくらいある、横3mくらいある機械でプロと同じレベルの録音環境で録音することである。 これをやると貴重な経験ができると思う。 まず、ヘッドフォンからは伴奏が凄くクリアに聞え、また自分のボーカルも凄くよく聞え、 歌いやすい。  また、どんな小さなため息も録音できる。 たとえば、セリーヌ ディオン の映画テーマ曲、My Heart will  Go On 、 宇多田ヒカルの歌、 中森明菜のバラード、その他ではマライヤキャリーのAメロの歌い方とか、本当にため息だけで歌っている個所が多い。これはかなり機械に頼った声である。 生で歌うと近くにいても声が聞えないと思う。 そのような声も本格的な一流スタジオでは拾ってしまう。 私の経験では赤坂のスタジオでやったとき、息が荒くなったとき鼻息もヘッドフォンから聞えたし、鉛筆を楽譜立てに置くと、「ピーーーン」と音が響いたりする。 そのようなスタジオでしかできない発声もある。 (画像: (上右)自宅近所の海、 (下左)ディナーショーの時の写真)

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48話 「こんなん出ましたけど・・・」

バックナンバーは左端の47話以下のタイトルをクリックするか、それ以上の古いものは左下端のArchivesの英語の月の文字をクリックして見られます。 芸能界では数名の人から騙されたが、神様みたいに親切な人もいた。でも、それはどの世界でもいい人と悪い人はいるだろう。 でも、芸能界はその格差が激しいのかも? 私が芸能界で一番心を開いて、親に言いたくないことまでどんな秘密でも打ち明けられる芸能人は、 「泉アツノ」という。  もう他界された。それもご自分が予知された年月日とおりに他界された。そう、彼女は生まれつきの霊能者だった。 大阪生まれのおばちゃん。 子供のころから歌手に憧れ、1939年宝塚歌劇29期生となり、1944年に退団する。 その後、いろいろな賞を受賞された世紀の大作曲家、古賀政男先生の弟子となる。美空ひばりさんの曲も多く作曲されている。古賀先生は東京に在住のため、彼女は大阪から東京まで週1回レッスンに通っていた。新幹線の発達した今とは違い、その当時大阪から東京にレッスンに通うのは、日本からアメリカにレッスンに通うようなもの。 古賀先生から「泉あつ子」 と芸名をいただき、日本コロンビアの専属歌手として契約する。後ほど、15画のほうが運勢がいいといわれ「泉アツノ」 と芸名を変える。 古賀先生は恋わずらいの多いかたで、一度わざわざ東京までレッスンに行っても、「今はそれどころじゃないんだ」 と三角関係に悩んでいた古賀先生から追い返されたこともあったと聞かされている。 1950年代からはテレビ、映画、週刊誌にかなり露出されていた。タレントとして女優としてまた数々の書物の著者として活躍されたが、本人はやはり本命は歌手だった。 でも、歌手としての夢は果たせず大阪で霊能者として活動を始める。 吉本興業所属の女優だったので時々は女優の仕事はされたいた。でも、私と出会った時にはもうかなり芸能界からは引退されていた。 シャンソン歌手である戸川昌子さんを私に紹介してくれたのも、このおばさんだ。 1989年には白蛇占いで「こんなん出ましたけど・・・・」 という言葉が流行語大賞に選ばれる。 若い世代の方々にはなじみがないはず。 少し年配の方なら、紫色の頭巾をかぶり着物を着た数珠を持った尼さんが、男みたいな声で男言葉で占ったあと、笑顔でかわいい声で「こんなん出ましたけど!」 というのをご覧になったことがあると思う。 宝塚歌劇出身ということもあり、一路真希とかその他多くの宝塚OBが彼女の鑑定を受けている。 テレビによく出ている有名タレントが多く彼女のお世話になっている。 彼女との出会いはある芸能人の紹介で出会った。自分も大阪に住んでいたので、自宅から30分という便利な場所だったということもあって、彼女を紹介されたんだろう。 彼女は他界されるまで、大阪の豊中の団地に住んでいた。彼女の部屋に入るといつも線香の香がした。 彼女は他の霊能者や占い師とはちょっと違った。 他の霊能者や占い師は自分の鑑定を絶対的なものとするが、彼女は謙虚だった。  どんな一流の霊能者も占い師も100%当たることはあり得ない。 もしそうだったら独裁者になってしまう。 80%くらいの確率で当たると余裕をもって聞いてください、と言われたのは安心できた。 また、彼女の場合は、よく電話がかかってきて私のことを心配して無報酬でアドバイスをくれた。大体悩んでいるとき、危ない橋を渡ろうとしている時はわかるようだ。そんなときに電話がかかってきた。  結構遠慮なく手厳しい言葉を言う人だった。 電話の向こう側で怒鳴られたこともある。 でもこのように私のことを本気でうるさく心配してくる人は珍しい存在だ。見返りを求めない無償の愛というものがこの人からは感じられた。実の母でさえ、これほどうるさく私を叱ったりしなかった。 彼女は私の欠点や人には言いたくないことも全部知っている。電話の向こう側で私のことを心配して泣いてくれたのは実の母親と彼女だけだった。 団地の近所の10代、20代の若い子たちにも同じことをしていたらしい。 私が私の間違った判断で2つ目の楽曲をすでにリリースしてしまってから、彼女と出会っているので、彼女はよけいにハラハラしていたんだろう。 逆に私のほうがノホホーーンとのんきだった。 彼女が私の父親サイドの祖父のことをなんでも知っていたのは凄い! と思った。自殺したとは知らなかったので、母親に聞いたら、本当だった。そのような家庭の恥は私には隠していたらしい。でもその祖父がそれを私に伝えて、いつもわたしの傍にいて私のことを見守っていると伝えてくれと、彼女に頼んだらしい。  実の母親はまだ健在だが、いずれ亡くなる時には、おそらく泉アツノを亡くしたときと同じ気持ちになることだろう。実の母親はよく私にこういう。 「あんたのすること見てたらホンマにハラハラするわ」 これは偶然泉アツノも私に言った言葉と全く同じ言葉だというのは面白い偶然だ。

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47話 アメリカで音大生に

バックナンバーは左端下のArchivesの英語の月の文字をクリックすれば見られます。   前回の続きであるが、その後私はアメリカ、ユタ州、プロボ市にあるBrigham Young University に入学する。つまり2回も大学に行っている変わり者である。 しかし、その当時の日本の大学に通学していた現在の団塊の世代ならば理解していただけると思うが、きちんとやり直したい!という希望があった。 まさか英語を母国語とするアメリカでアメリカ人と英語では競争できない。ならば・・・・・ そう、私が選んだのは歌だった。 でも失敗したのは、ジャズ専攻もあったのに、その時はクラシックに憧れていたので、声楽専攻を選んだ。もちろんアメリカでは専攻はいくらでも途中で簡単に変えられる。 ということは失敗だった!と後悔したのは、私が30代後半になってからのことである。 その時に、恥ずかしながらまた人前で歌い、CDをリリースするが、その時にジャズを歌ったときに、発声をまた変えないといけないことになってしまった。 演歌、シャンソン、ミュージカルの場合は、声楽の発声はかなり使える。 2回目のときの先生は石川まさお先生であるが、それを指摘されてしまった。 この話はまた次回お話しする。 話をアメリカの留学時代に戻して、その当時は、人間の声とは思えない美しい声に憧れて声楽を勉強したが、日本の音大とはかなり違うようだ。 まず、1年生はイタリア歌曲から始めるのは日米共通だ。 「セベンクルデーレ」とか曲も同じのが多い。違いは、・・・・ まずピアノの授業では日本ではバイエル、チエルニー20番とかから入るらしいが、アメリカではコードから入るのに驚いた。 たとえば、ベートーベンの「月光」という曲があるが、その旋律を与えられて、それにコードを自分でつくる。  アメリカの大学には入学試験がない。 だから私のようにピアノが弾けなくても入学できる。 だけど、ある程度弾けるようにならないと卒業ができない。 それが最大の難関だった。一度は単位を落としている。 再度挑戦してなんとか合格ライン。 先生も私の肩に腕をまわし、 「個人レッスンをしたほうがいいんじゃないの?」 と励ましてきた。 1学期間だけは先生から個人レッスンを受講した。  言い訳がましいが、日本でもピアノを弾けない声楽家はいる。ある有名なオペラ歌手からレッスンを受けた時もその先生はピアノが弾けなかった。アメリカの音大でもピアノを弾けない先生から習ったこともある。 彼も僕と同じでもとはポップス歌手だったが、天使のような美しい声に魅せられてクラシック歌手に転じた人。 だからピアノが弾けない。 いつもレッスン時にはピアニストがいた。 その次に難関だったのは、sight singing。 日本語ではなんというのだろうか? 楽譜を与えられて、最初の音程だけピアノで聞かされて、旋律を歌う。 おそらく日本では聴音の授業でこれをまかなっているのでは? 2年間は苦労した。 でもピアノのほうがもっと大変! 楽譜を読むのは、まだなんとかできた。 私の発見したコツは、  C major だけで、3度音程、4度音程、5度音程と段階的に上げていった。次に、bを一つだけつけて、つぎにbb、bbb、bbbb、bbbbb、と段々増やした。#も同じ。 それとCmajorの4度音程ならよく知っているあの歌のあそこの部分だと覚えた。 声楽科の友人がそう教えてくれた。 ピアノはとにかく指が固まってしまう! そんな恥をかきながらも必死にもがいてなんとか悪い成績だけれども卒業ができた。奇跡だ。自分の学業でもっとも頑張った充実した時代だった。 声楽をやっている人の中には日本でもアメリカでもポピュラー音楽を嫌う頭の固い石頭がいる。日本ではたとえば絶対にカラオケボックスに行かないとか・・・  アメリカの期末テストで私はポピュラー音楽をクラシック発声で歌ったことがあった。歌い終わってから、ある生徒が手をあげた。 先生が「意見かな? 感想をどうぞ」 といった。その生徒は、私が声楽曲を選ばなかったことに異議を唱えた。 そこで先生が言ってくれたことは凄くうれしかった。救われた。 「エルビスプレスリーが歌っているLover’s Concerutoは17世紀のバロック音楽だよ。 ジャンルにこだわらず、その曲をどう味付けしようがそれは自由でいいんじゃないの? 彼は今の時代のポップスをクラシックの発声で歌った。それが問題??」

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46話  歌手になったきっかけ

バックナンバーは左下端のArchivesの英語の月の文字をクリックすれば見られます 私の大学時代は結構エレベーターのようにいいときは最上階まであがり、最悪の場合は挫折し、中退しかけて地下まで降下したりであった。 この話題を取り上げると結構恥ずかしい話もしてしまうので、やめておこうかと思った。でも、いいところだけを見せるのでなく、自分のありのままを知っていただいてもいいかとも思った。 すべて順風満帆にうまくいっている人のほうが少ないのだから。 まず、日本の大学では外国語大学で英語専攻で卒業はでき英語教員免許2級も取得したが、私が通学していた時代は三島由紀夫が東大講堂で自害したり、大学紛争が真っ盛りの時代だった。授業中にヘルメットをかぶり棍棒をもった大学生が教室に入ってきたりで、かなり授業が妨害された。今では考えられない。 期末試験の準備が不十分なときは、通学時に学生紛争で試験が延期になってくれますようにと、祈ったものだ。 そうなったときもある。 そんな大学に嫌気をさし、私は趣味の歌に没頭した。 趣味を超えて歌手デビューのオーディションを受けた。 どういうわけか、1次、2次、と合格し、最終ファイナルでは13人が残ったが、本当にどういうわけか、優勝してしまった。  そして、猪俣公章先生の書かれた楽曲でデビューした。 森進一、坂本冬美、 マルシア、 藤あや子、 藤圭子(宇多田ヒカルの母)、五木ひろし、など昭和の歌謡界を代表する歌手ばかり育ててきた大御所。 坂本冬美さんの場合は、すごく気に入られて内弟子だった。「内弟子」と「外弟子」がある。 「内弟子」は先生の自宅に同居する。 「外弟子」はレッスンに通う。 そして最初の2年間くらいは歌うことを禁じられて厳しいボイストレーニングばかりで、地道なトレーニングが続く。  私は外弟子でさえもなかった。 事務所が先生の書かれた楽曲をいただいて私に「これを歌いなさい」と命令しただけだ。 一度だけ先生の世田谷区の自宅に行って挨拶だけはした。  「この楽曲は結構、俺は気に入ってるんだよね。だから、頑張って歌ってよ。」 とそれだけ。本来はそこにあるピアノでレッスンを1回でもいいからお願いしたかった。でも、・・・・ 「レッスンしだすと、細部まで徹底的にやりたがる俺だから、それはやめておこう」 と断られた。 確かに、***(名前はその方の名誉を損傷するので控えます)さんのレコーディングを見学してると、ガラス張りの向こう側にヘッドフォンをつけて楽譜を見ながら聴いている先生は、すぐに音を止められて、キレまくる。 「そうじゃないの。 そこは何回同じことを言わせるんだ、ボケ! おまえは本当にバカじゃないの? ちゃんと赤ペンで印をつけとけ! 」 それを十回以上やる。 歌っている本人も顔色がかなり曇っている。 それを見てレッスンをお断りになって正解!!と思った。 今から考えると、先生が私にレッスンをお断りになった本当の理由は、私は1年もすれば1発屋で消えるだろうと予測されたからだと思う。 素質があると思う森進一さんや坂本冬美さんや五木ひろしさんは凄くレッスンを大切にされていたから。 そして、さすが先生の先見の明は鋭い。 1年半後には引退した。 ちょうどいいタイミングだった。 日本の大学も卒業しないといけない時期で、今後の進路を決断しないといけなかったので。 ただ、就職活動を全然していなかったので、仕事を探すのに苦労し困った。そこで次の私の行動は、アメリカの大学できちんとやり直そうと思い、それを実行する。その話はこの後、47話で続きををお話しする。

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